禅のこころ

歳月人を待たず

 

「過ぎた時間は二度と戻らない

だから学生のうちは、一生懸命に勉強しなさい 」

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日本人は、中高年になると

この言葉をよく口にするようです。

その多くは

「時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず」

という古詩の言葉と出会い

自らの何十年という人生経験を振り返り

自分と同じ失敗をしないようにと

子どもたちへ

冒頭の言葉を使って、つい説教をしてしまう

そんな傾向があるようです。

 

ところが

この引用は、大きな誤り.....

「及時當勉勵 歳月不待人」 とは、そんな意味ではないのです。

・・・

人生無根蒂 飄如陌上塵

分散逐風轉 此已非常身

落地爲兄弟 何必骨肉親

得歡當作樂 斗酒聚比鄰

盛年不重來 一日難再晨

及時當勉勵 歳月不待人

 

これが陶淵明の『雑詩』にある詩の全容です。

訳してみると 、次のようになります。

・・・

「人生には、樹木の根や果実のヘタのような

しっかりとした拠り所が無い。

いうなれば

『あてもなく舞い上がる路上の塵』

のようなもの。

風が吹けば、簡単に散らされて

その身をつねに保つことさえ難しい。

人生は、この『塵』のように儚いものである。

しかし塵は必ず地に落ち、誰彼の差なく皆兄弟となる。

骨肉などにこだわることなど全くないのだ。

人生は、こうしたものなのだから

嬉しいときは、大いに楽しみ騒ごう。

酒を用意し、近くにいる仲間と飲み明かそう。

青春は、二度とは戻ってこない。

また一日に朝は一度きりで、再び同じ朝は訪れない。

だから

楽しめるときは、とことん楽しもう。

歳月は人を待ってはくれないのだから…」

 

この訳をみれば、おわかりでしょう。

日本人の多くは、この詩の中の

「及時當勉勵 歳月不待人」という一部だけを取り出し

「過ぎた時間は二度と戻らないのだから、

一生懸命勉強しなさい」

と勝手に訳しているのです。

つまり「勉勵(勉め励め)」 という熟語を

「一生懸命勉強しなさい」

という意味だけでとらえている。

……それが大きな誤りというわけです。

・・・

陶淵明がこの言葉にたくした想い

それを禅語であらわすと

「只在目前」

(只だ目前に在り)

となるでしょう。

 

禅宗祖師の言行をまとめた『景徳伝登録』に

                     「道在何処」  

                     「師曰只在目前」

という問答があります。

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この禅問答は

「仏法の道、修行の道とはどこにあるのでしょうか?」

とたずねる弟子に対し

「目指すべき真実の道は、つねに目前にある」

と師が答えたものです。

・・・

人生の道は

つねに目前にあるので、探しても見つからない。

そもそも探すものではなく

目前にある「迷い」や「苦悩」と

とことん向かい合うことで、人生の道は築かれていく。

及時當勉勵 歳月不待人

つまり

人はいづれ必ず死を迎えるものだから

つねに目前のなすべきことをトコトン行う。

たとえ苦しいことでも

考え方を切り替え、できる限り楽しんで行う。

人生を謳歌する秘訣は、そこにあるというわけです。

 

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