禅のこころ

●恩を知る者は少なく、恩にそむく者は多い○

 

『景徳傳登録』に 

次のような古人の禅問答が残されています。

 

師問菜頭。今日喫生菜熟菜。__

菜頭拈起菜呈之。_______

師云。知恩者少負恩者多。___

 

場面は、僧堂〔禅の修行道場〕のなかにある

典座〔台所〕でしょうか。

 

老師が、台所にいた菜頭を任された修行僧に問います。

「今日は、生きのいい野菜を食べるのか? それとも煮込んだ野菜をたべるのか?」

09yasai

すると菜頭は、無言のままで

料理に使う野菜を摘んで持ち上げ、老師へ差し出します。

それを見た老師は

「 恩を知る者は少ないが、恩に負(そむ)く者は多い 」

という言葉を発した……という問答です。

 

菜頭(さいじゅう)とは

昔の中国の僧堂では「飯頭〔粥飯を司る役〕の配下で

薪や柴を調弁する役」のこと。

つまり、毎日の炊飯に支障のないように

山林に入って、調理の火を起こす薪や芝を採集する役目を

任された修行僧のことです。

典座を筆頭とする

僧堂の料理を司る役目の中では

実際に食材を調理をする役から遠い役割ですが

日々欠かすことのできない

大切な役です。

 

老師は、そんな菜頭に

「今日喫生菜熟菜?」

と問いかけた……というわけです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、老師は、なぜ料理のすべての責任をおう「典座」ではなく

その配下の「菜頭」に問うたのでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

また菜頭は、なぜ「無言」のまま

ただ野菜を取り上げて、老師に示したのでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして老師が最後に述べられた言葉

「 知恩者少負恩者多 」

には、はたしてどんな意味があるのでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

表面上の言葉を素直に読取って

現代語に訳すと

「 無言のまま、食材だけ掲げるとは、礼儀知らずなヤツじゃ。

昔から『恩を知る者は少なく、恩にそむく者は多い』というが

本当にその通りじゃ……」

となります。

しかし

「不立文字」あるいは「拈華微笑」

などの禅のキーワードを加えて

この問答を改めて考えてみると、どうでしょうか。

その意味は、

全く別の内容になってくるようです。

 

09illust

 

「最近は、恩知らずな若者が多くなった」

そんな言葉を、よく耳にします。

一見そんな気もしますが、よくよく世間を見渡してみると

それは、決して若者だけの傾向ではありません。

「恩の安売り」や「恩を仇にして返品する」のは

今日では、年齢に関係なく

行われているように思います。

さて、あなたは

老師と菜頭のこの問答を読んで

「知恩者少負恩者多」

という言葉を、どのように感じますか?

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

09mein

ちなみに僧堂の雲水〔修行僧〕たちは

食事の前に必ず『五観文』という経文を唱えます。

その短い経文は、次の言葉からはじまります。

一、計功多少量彼来処

ニ、忖己徳行全欠応供

「一つに、目前に供された食事が出来あがるまでの手数が

いかに多いかを考え、また料理に使われている食材が

どんな経路で運ばれて来たのかもよく考えてみよう」

「二つに、己(わたし)はこの食事を受けるに足るだけの

正しい行いが今日もできているだろうか。そのことを

よく反省して、この食事の供養に応じよう」

 

「 恩 」とは、何か……

………その考え方の一つが、この経文にあるのではないでしょうか。

 

[戻る]

 

〒616-8385 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町61

Copyright (C) toukanin. All rights reserved.