禅のこころ

●第三の知識を身につけよう○

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仏教学者であり、禅思想を欧米へ紹介したことで知られる

鈴木大拙師は

「『知識』というものは大略すると、3種類ある」

といわれていました。

 

その一つは、「読み聞き」によって得る知識。

私たちはこれを記憶して

普段から重要な〝所有物〟として持っているもので

知識の大部分は、これにあたります。

たとえば、私たちは地球上を歩き回って

各地を詳しく調査する訳にはいきません。

そのため世界のさまざまな知識については、他人が備えてくれた地図や情報に頼る、

…………第一の知識とは、そうした知識のことです。

 

二つめは、一般に「科学」と言われている知識。

つまり、〝観察と実験〟あるいは〝分析と推理〟

の結果により得られる知識のことです。

体験的なところや経済的なところから得られる知識であり

第一の知識よりも強固な基礎を持つ

…………第二の知識とは、そうした知識のことです。

 

三つめは、「直観的な理解」の方法によって達せられる知識。

あらゆる種類の信仰、なかでも宗教的信仰の基礎を持ち

最も効率的に〝危機〟に応じることができる

…………第三の知識とは、そうした知識のことです。

 

第二の科学的知識を重んじる人は、

「第三の直観的な知識は、事実に確実な基礎を有しないので、絶対的な信用を置けない」

といいます。

 

ところが科学的知識も、事実として完ぺきなものではなく

それ自身が限界性を有するものなので

科学的・論理的に記憶している知識だけでは

現実の世の中では役に立たないことがよくあります。

 

 では、

禅が何よりも大切にしているのは、どの知識か。

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それは

「私たちの存在の深いところから出てくる、第三の直観的な知識」

と、鈴木大拙師は述べています。

現代人の多くは、言葉をできるだけ数多く記憶し

それにより色々な概念をもてあそび

「自分は利口だ」と考えています。

そのため

「第一と第二の知識」を他人よりも多く得ることばかり考え

できるだけ利口者になろうと

努力をしています。

 

しかし

どんなに第一と第二の知識を得ても

人間の魂の直接的表現である「芸術」を創ったり

また「一つの技術」に熟達したり

あるいは「信仰の道」を歩むなどの

「人として正しく生きる術」を身につけることはできません。

なぜなら

 純粋な創作や技術、信仰に関連したことは

自分以外の人に「伝え難いもの」だからです。

禅のモットーである「不立文字」とは、

そういう想いから生まれた言葉で、

現代風に意訳すると

「文字で伝え難い」というよりも

―― 言葉に頼るな! ――

となるでしょう。

 

ただし禅が第三の「直観的知識」を大切にするのは

「第一や第二の知識は必要ない」

という意味ではありません。

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知識を「自分の所有物」と思い込み、

それを「言葉で論ずることばかりにとらわれる」と

あらゆるものごとを「自然に、ありのままに」、見ることができなくなる。

 

第一と第二の知識は、

実は、第三の知識を得ることではじめて

「自分を利口にする知識」から

「自分をこの世で生かす知識(ほんとうの知恵、仏の智慧)」へ

変わると鈴木大拙師は述べています。

 

あなたが、いま得ている知識は、

自分をこの世で生かしてくれる、ほんとうの知恵になっていますか?

 

 

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