禅のこころ

何かを〝さとる〟ために必要なもの

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鈴木大拙禅師の著書『禅と日本文化』の中に

〝さとり〟

という動物と、それを捕まえようとする

〝樵夫(きこり)〟

が織り成す不思議な話があります。

その内容をお話すると、次のようなものです。

樵夫が山で木を切っていると、〝さとり〟が現れた。

里ではなかなかお目にかかれない動物なので、

樵夫が生け捕りにしようと思うと、

突然、心の中で

「お前は、己(わたし)を生け捕りにしようと思っているね」

という言葉が聞こえてきた。樵夫が驚いていると、

再び心の中で、

「そら、お前は己の読心力にびっくりしている」

という声なき声が呼びかけてきた。

ますます驚いた樵夫は、

手にした斧を強く握りしめ、

『一撃を喰らわせてやる!』と頭の中で考えた。

するとその瞬間、

「お前は、己を殺そうと思っているな」

という

さとりの冷静な声が樵夫の心に響き渡った。

 

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―― 何かを思ったとたんに、その思いのすべてを察してしまう ――

 そんな不可思議な能力を、さとりは持っていた。

 

その能力を覚った樵夫は、

『この能力がある限り、さとりを片づけることはできない』

と思い、何も考えないようにしようと心がけた。

しかし、さとりは、

彼の心へ話しかけることを、一向に止めなかった。

「なんだ、もう己を捕まえることを諦めてしまったのか」

「なさけないヤツだなぁ~、ダメなやつだなぁ~」

さとりの言葉が

湧いては消え、消えてはまた湧いてと、

樵夫の心の中を駆け巡る。

『この動物をどう扱えばいいのか』、

そして『自分をどうすれば、この状態から解放されるのか』が、

樵夫には、まったくわからなかった。

しばらくして、

何も考えないようにするのではなく、

自分の仕事である、木を切ることだけに集中した。

つまり、

さとりが近くにいることなど気にも止めず、

(さとりを捕えることを完全に諦めて)

勇気を出して一心に、木を切り続けたのである。

すると、

そのうち偶然に、

斧の頭が柄から抜けて飛んでいき、

それが、さとりに直撃し、さとりは死んでしまった。

この物語は、いわゆる

〝仏のさとり〟、〝禅のさとり〟

といわれるものを喩えた話です。

一般の方々も〝何かをさとりたい、きわめたい〟と思った時、

この話を心しておくと、必ず役立つことでしょう。

 

人間は、

欲を無くしては、生きることができません。

しかし、

欲に囚われる過ぎると、

本当に得るべきものが〝何であるか〟がわからなくなります。

手に入れるまでは

〝これからの自分を生かすもの、自分を変えてくれるもの〟

と、あれだけ思っていたのに、

実際に手に入れたら

〝思っていたほど役に立たなかった、必要なかった〟

・・・ということは、よくある話です。

そもそも

「何かをさとる」「何かをきわめる」というのは、

〝欲しいから手に入れる〟というものではないようです。

あえて言葉にするならば、

「日々、磨きをかけていくもの」

固定したものではなく、つねに「変化し続けるもの」。

樵夫のように〝自分が今やるべきことを一心に行うこと〟で、

ある日ある時に偶然、得られるものであり、

また自分は「得た」「手に入れた」と思うと

その時には、もう死んでいるもの。

自らのやるべきことをやり続ける、

その一瞬一瞬に輝き、

生き生きと、生きるもののようです。

 

 

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