禅のこころ

●停滞を嫌う○

禅のこころ01PHOTO1

「禅は停滞を嫌う」

これは、私が僧堂で修行をしていた頃、

尊敬する師がことあるごとに言われていたコトバです。

正直にいいますと、私はしばらくの間、

その意味するところをまったく理解できませんでした。

しかし、坐禅をしていたある日のこと、

「今、ここ、この私を精いっぱい生きる」という意味だ!

ということに気づいたのです。

そのきっかけとなったのは、

数日前に師から教えていただいた

妙心寺の開山・関山慧玄という禅僧の次の逸話でした。

 

慧玄さんが

住んでいた当時の妙心寺の方丈は、 

屋根が朽ちても修理をしないほど、簡素な修行生活の場になっていたといいます。

ある日のこと、急に大雨が降りだして、

その寺の本堂の屋根が雨漏りをはじめ、

雨の雫がポタポタと床に落ちてきました。

それを見た慧玄さんが

「誰か、雨水を受けるものを持ってきてくれ」と大声を上げると、

弟子たちは雨水受けになる物をすぐに探し始めますが、

なかなか適当な物が見つからず、

皆一様にウロウロしていました。

そんな中、

弟子の一人が一目散に慧玄さんのもとへ駆けつけますが、

彼が手にしていたのは、なんと〝笊(ざる)〟。

いくら慌てていたとはいえ、雨水がすべて抜け落ちてしまう笊を

 

その弟子は〝雨水受け〟として持っていったのです。

他の弟子たちは『これは、怒られるぞ』と

思いながら様子を見ていると、

慧玄さんは怒るどころか、

その笊を持って来た弟子をたいへん褒めた…という話です。


でも、慧玄さんは、なぜ笊を持ってきた弟子を褒めたのでしょうか?


役に立たない笊を持っていくという行為は、一見、愚かな行為に思えます。

しかし、この弟子にとっては

「今、ここ、この私を精いっぱい生きる」

という心を素直に表した行動であり、その迷いのない、ありのまま自然な姿が

禅の修行者にふさわしい行動であった。

だから慧玄さんは、その笊を持ってきた弟子を褒めたというわけです。

何を持っていけばいいかと迷い、

失敗を恐れてウロウロと“停滞する”より、

“すぐに行動に移す”

それが人間にとって大切なことだと、

慧玄さんは教えたかったのだと思います。

禅のこころ01PHOTO2

わたしたち人間は

「常識」

という観念に心がとらわれると、

〝考えすぎ〟で行動ができなくなることがよくあります。

 

「禅の修行者は、世間の常識にとらわれない行動をする」

と昔からいわれていますが、

それは慧玄さんに笊を持って行った弟子のように

〝停滞を嫌い〟、そして〝今、ここ、この私を精いっぱい生きる〟

ということを大事にしていたからでしょう。

 

もしも、今、あなたの心の中で何かが停滞しているならば、

失敗を恐れずに、

とにかく行動に移してみてください。

余計なことを考えずに、

自分が今やるべきことを精いっぱいに行う。

そうすれば、

すぐに良い結果が得られなくても、

その心は自由で清清しさを感じるはずです。

[戻る]

 

〒616-8385 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町61

Copyright (C) toukanin. All rights reserved.