古典に学ぶ

未知生焉知死

                  

                  

                季路問事鬼神。      

                子曰、未能事人、焉能事鬼。

                曰、敢問死。        

                曰、未知生、焉知死。  

                『論語』先進第十一

【訓読】

                季路 鬼神に事(つか)えんことを問う。   
                子の曰わく、未だ人に事うること能(あた)わず
                焉(いずく)んぞ能(よ)く鬼に事えん。  
                曰わく、敢えて死を問う。         
                曰わく、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。

 

【現代訳】

季路(子路)が

死者の霊や神々に仕えることについて、孔子にたずねた。

孔子は言った。

「まだ生きている人に仕えることができないのに

どうして神霊に仕えられるのか 」

再び、子路がたずねた。

「敢えておたずねしますが、死とは何でしょうか?」

すると孔子は言った。

「生もわからないのに、どうして死がわかるのだ」

・・・

とあるテレビ番組の調査で

小中学校の子どもに「死のイメージ」をたずねたところ

次の2つの回答が多かったそうです。

「死んだほうが、苦しみを味わわないで楽になれると思う」

「魂が別の体に移って、人生をもう一度やり直せると思う」

また

「人間は、死んだらまた生き返るか」という問いに対して

33人中28人、実に80%以上もの子どもたちが

「転生を信じる」と答えたそうです。

001

つまり

現代の子どもの多くは

「死んでも、また魂は生き返り、やり直せる」

という死生観を持っている。

だから

非日常的な「死ね」という言葉を日頃から安易に用い

最悪の場合、同級生を遊び感覚で自殺に追い込むような

いじめが、残念ながら蔓延しているのでしょう。

・・・

一方、現代の大人たちが

「死」について何を知っているのか

というと……

……大人も何も知らない、わからないものです。

つまり

子どもが「死ね」という言葉を発しても

その発言が「どうしていけないのか」を

しっかりと叱れる大人がいないのです。

・・・

孔子が述べた

「未知生 焉知死」

このわずか六文字の中に

「死ね」という言葉を安易に用いる

今日の子どもたちへ説くべき教えがあります。

 

人が『生』を受けたのは

その人が「何のために生きるのか?」を探すため。

その『生』がまだわからないうちに

『死』はわかるはずがありません。

KOTEN02

誰かが都合よく勝手に想像した

『死』の世界の話は、昔から数多く語られています。

ところが

語られているような『死』を実際に体験した人など

この世界には、誰一人いません。

それが「現実」であり、正確な「真実」です。

・・・

孔子がいうように

生きている他人を大切にできない人が

神様や祖霊を大切にすることなど

できるはずがありません。

 

また

「生きる」ことをしっかりと知ろうとしない人が

「死」について本当のことがわかるはずがないでしょう。

 

「生きるとは何か、生きるために何をすればいいのか?」

 

人は『死』を想像する前に

まず自分の『生』を真剣に考える。

それが何より大切なことなのです。

・・・

余談ですが、

二千年以上も前にこの真理に気づき

世の中の人々に明らかにされたのが

孔子であり、お釈迦さまなのです。

あなたは

この不変の真理に気づいていますか?

 

[戻る]

 

〒616-8385 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町61

Copyright (C) toukanin. All rights reserved.