ほとけの教え

供養は心を育む

 

今日では

「 リアルなものだけを信じる(現実主義)」

という人が、年々増加傾向にあります。

しかし

一方では、自分の死後を考えると

「 輪廻転生することを信じる 」

という若い人も、同様に増えているそうです。

輪廻とは

「天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄」

という、迷いの六道の世界で生死を繰り返すこと。

中でも

畜生・餓鬼・地獄の3つは

「三悪道」と呼ばれ、輪廻をする六道でも

仏縁に触れることが少なく、苦しみの多い世界

であると説かれています。

 

JIGOKU

こうした 六道を生死によって輪廻するという世界観が

日本でよく説かれるようになったのは

平安時代の中頃。

天台宗の学僧・源信が著した 『往生要集』 という書物から

人々に広く伝わったと言われています。

つまり

「三悪道は、悪事をした人が落ちる場所」

としてこの本に説かれているところから

「畜生・餓鬼・地獄の3つは、悪人が落ちる世界」

として日本人に語り継がれてきた

と、いうわけですが……

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……………………………………………さて、あなたは

 餓鬼と畜生がどんな世界にいる(生まれ変わる)のか

  ご存知でしょうか? ………………………………… 

 

寺院風景

 

『往生要集』によると

餓鬼は「人と天の間にあり」、畜生は「人と天に雑(まじ)わう」

と説かれています。

わかり易く現代語に訳すと

餓鬼は「目に見えない姿となって、人間の世界に生まれ」

畜生は「目に見える生物となって、人間の世界に生まれ」

変わるというのです。

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日本人の多くは

誰もいない時に物音がすると、急に怖くなったり

身近にいる犬や猫の眼差しに、ふと恐れを感じる

……………そうした理屈では解決できない不安を

心にもたらすもの……それが餓鬼や畜生であると

このころから深く信じるようになったそうです。

 

そして

その不安を鎮めるために

―― 供養 ――

が庶民の間でも広く行われるようになった……。

 

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こうした歴史的経緯から現代人の多くは

「死者の霊に供物を捧げて、お経を読んで慰霊すること」

あるいは

「社寺仏閣に祈祷料を払って、お祓いをして貰うこと」

が供養であると思い込んでいるようです。

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しかし

本来の供養とは

そうした「儀式」だけをいうのではありません。

供養は読み下してみると

―― 供に養う ――

この「供」の字は「饗」という

漢字に置きかえられて記すことがあります。

つまり

供養の意味には

―― 「食事」をともにする ――

という、もう一つの意味が込められているのです。

・・・

実際に僧堂(禅の修行道場)では

「生食(さば)」

ということが、毎日の食事の際に行われています。

修行をする雲水(禅の修行僧)は

自分に供された料理から、少量のご飯粒を取り分けます。

 

米粒

こうして取り分けた一人一人の米粒を集めて

それを周囲に生息する鳥などの動物に分け与えるのです。

この行いも 

毎日実践する「禅の修行」の一つであり   

餓鬼や畜生への「供養」とされているのです。

 

わずか数粒のご飯粒を取り分けるという、この日々の行いから

雲水は、いったい何を学び得るのでしょうか?

 

それを言葉で表すのは、容易なことではありませんが 

敢えて記すなら、次のような「心のはたらき」でしょう。

・・・

一つは

生きるために必要なものは

目に見えるもの・目に見えないものに関わらず

ともに分け合うという「共生」の心。

・・・

一つは

自分のことよりも他のためになることを

先に行うという「慈悲」の心。

・・・

そして

この二つの心とともに育まれる

自らの必要とする分を知るという「知足」の心。

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読経

 

供養とは

「供物を捧げてお経を読み、亡くなった方の慰霊をすること」

と今日では思われていますが

食を通じて

「生きている私たちの心を豊かに育み、安心を得る機会」

でもあるのです。

 

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