ほとけの教え

無学と無常

無常と無学photo1

 自分のことを自嘲して「無学」という人がよくいます。

一般には「人に誇れる学歴が無い」「自分の持つ知識に自信がない」ことを

相手に伝えるために使う言葉ですが、

へそ曲がりの和尚さんに使うと、

こんな皮肉をいわれるかもしれません。

「ほぉ~、あなたはもう悟った方なのですね」

なぜなら仏教用語の〝無学〟とは、

「仏教の真理を究めて、すべての迷いが無くなり、学ぶべきことが一つもない」

という状態を表す意味があるからです。

ちなみに、へそ曲がりの和尚さんに

「自分はまだ心に迷いが有り、まだまだ学ぶべきことが多い」

ということを伝えたければ、

「有学(うがく)なもので…」といえばいいのです。

そうすれば、へそ曲がりな和尚さんも無言でニコリと微笑むことでしょう。

このように仏教用語から日本語になった言葉には、

一般に使われている言葉と

まったく正反対の意味になっているものが意外と多くあります。

たとえば〝無常〟という言葉。

世間では「人生の儚(はかな)さや生命のもろさ」

あるいは「人の世の変わりやすさ」を意味し、

どちらかというとネガティブな言葉として使われています。

しかし、本来の仏教で用いる〝無常〟は

そうした暗いイメージを持った言葉ではありません。

無常と無学photo2

現代風にいうならば、

〝無常〟とは、

自然の〝法則〟〝原理〟を表しているシンプルな言葉で、

「この世界のすべてのものは、時の流れとともに、つねに移り変わっていく」

という意味。

つまり、

「移り変わらない固定的な実体は存在し無い」

という自然の法則を説いたことばなのです。

わたしたちは、

何か幸せを感じると、

つねに同じ状態が続くことを望み、

逆に何か不幸を感じると、

すぐに状態が変化することを望みます。

そして、幸せな状態が

永遠に維持できないことを現実として知ったときに、

その現実を 〝儚い〟

と感じてしまうようです。

しかし、無常(=すべてのものごとは、刻々と変化する)は

大自然の法則であり、

現代では科学的にも証明された原理であり、

誰もが認めざるを得ない現実の姿。

つまり、「すべてのものごとが、まったく同じ状態で永遠に続く」ことは、

どんなに望んでも、何かに拝んでも、

現実には決してないのです。

仏教で用いる〝無常〟とは、

まず「すべてのものごとは、刻々と変化する」という大自然の法則を、

しっかりと理解しなさいという意味です。

その上で、決して止まることのない時間の流れを大切にして、

自らやるべきことをよく考え、

それをしっかりと実践する。

その日々の実践を自分の望むべき方向へと進め、

修正すべき点を、心静かに探していく。

――それが仏教の説く〝無学〟への修行(有学)であり、

〝無常〟という教えなのです。

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